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たびよみ

謎多き智将
明智光秀の京都へ

※この記事は2019年旅行読売2月号に掲載されたものです。

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主君を討った“逆臣”か、領民が慕った“名君”か。戦国武将、明智光秀。京都に残る、その実像とは―。

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【福知山城】築城当時は「福智山城」。明治の廃城令で石垣と一部の遺構を除き大部分が取り壊されたが1986年に天守閣が復元された。

智将、文化人、愛妻家、そして三日天下……。明智光秀ほど多面的な戦国武将はいないのではないか。謎も多い。清和源氏の土岐氏の庶流と自ら名乗り、美濃(現・岐阜県)出身との説が有力だが、詳しい出生地や生年はわかっていない。

歴史の表舞台に登場するのは、織田信長と出会ってからだ。1568年、越前・朝倉氏に身を寄せていた室町幕府15代将軍・足利義昭が、信長の力を頼り上洛。当時義昭に仕えていた光秀も同行し、信長と出会ったとされる。以後「天下布武」を掲げる信長の重臣となり、各地を転戦する。

【丹波亀山城跡】本能寺の変はこの地から出陣したと言われる。廃城令で天守は解体され、堀と石垣が残る。

1575年、光秀は丹波攻略を信長に命じられる。丹波は現在の京都府中部から兵庫県東部にかけての地域。山間にあり、内藤氏、波多野氏などの国人衆の勢力が強く、極めて治めにくい地だった。

攻略の拠点として1577年頃に築かれたのが、丹波亀山城だ。さらに、続く西国攻略の拠点として福知山城を築く。1579年、光秀は5年をかけて丹波を平定。その働きに対し、信長は家臣に宛てた書状で「天下の面目をほどこし候」と賞賛している。

【旗立松(はたたてまつ)展望台】天王山の中腹。山崎の合戦で光秀と秀吉が戦った古戦場と京都盆地、大阪平野を一望できる。

丹波で光秀は善政をしいた。福知山では城下町を整備し、氾濫する川を治め、税である地子銭を免除し、経済発展に注力した。丹波亀山では近隣の村人を呼び寄せて城下町を作った。しかし、その2年後に「本能寺の変」を起こす。その動機は未だ謎だ。

名君・光秀が語り継がれる京都。ゆかりの地を訪ねて、知られざるその素顔に触れてみたい。

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」で描かれる明智光秀の基礎知識。
美濃出身とされ、生年は不明。足利義昭に仕えた後、織田家の重臣に。1579年丹波平定。1582年京・本能寺で信長を討つ。11日後、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れる。側室を置かず、正室・熙子だけを愛した。三女・玉(ガラシャ)は盟友・細川幽斎の嫡男・忠興に嫁ぐ。家紋は水色桔梗。

【問い合わせ】
大河ドラマ「麒麟がくる」推進協議会事務局
電話0773・24・7076(福知山市産業観光課内)

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