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7月9日(木)

成田⇒ヘルシンキ

フィンランド航空の直行便(10時間20分)で北極点クルーズの集合地ヘルシンキに同日午後着きました。ラディソン・SASロイヤルホテルには、今回の船旅に参加する世界24カ国から125名のお客様が次々と集合しています。大多数が南極旅行の経験がある方のようです。永久凍土地帯にあるムルマンスク空港の改装工事が昨年から始まっており、航空機の発着を午前9時半以前に済ませなければなりません。その為に明日のヘルシンキ発が早朝となります。夕食を早めに済ませて、船室番号を付けた託送荷物を部屋の外に出して早く寝みました。

7月10日(金)

ヘルシンキ⇒ムルマンスク

フィンランド航空の早朝チャーター便で約1時間半、かつてソ連時代には外国人立ち入り禁止都市であった北極圏内の戦略的不凍港ムルマンスクへ。出入国及び税関検査の後バスで町の中心までシラカバ林の間を40分余りドライブです(13℃)。市内ホテルでブランチを済ませた後、博物館になっている初代原子力砕氷船レーニン号やコラ自然史博物館などの市内観光後、いよいよ世界最強の砕氷船が待つムルマンスク港へ。空港から荷物トラックで別に運ばれた私たちのスーツケースは既に各船室に届けられていました。歓迎オリエンテーションと船内ツアーの後18時、満ち潮に乗って出港です。2年前まで使われていたヤマル号やロシア号など歴代の原子力砕氷船とすれ違いながらフィヨルドから外洋に向かいます。

7月11日(土)

バレンツ海北上

南極と違ってドレーク海峡のような暴風雨圏の無い北極海はめったに荒れる事はありません。今回も、気温6℃の無風状態の静かな海を18~19ノットのスピードで北上しています。北極点まで約1040海里(1926km)です。船の周りにはもうミツユビカモメが飛んでいます。船内では極海域での避難訓練やヘリコプター搭乗のための安全オリエンテーションからパルカやブーツのサイズあわせなど、明日からの活動のための準備が次々と行われます。全ての北極講座や重要行事は日本語日程表に★印が付いており、私が同時通訳をしております。今晩は船長主催の歓迎カクテルと夕食会です。今回の若きロブソフ船長は1995年のヤマル号の際には1等航海士だった方で思い出話をしました。私達の食事はオーストリアのホテルマネージメント会社が派遣する専門家が用意するもので、メインコースは肉、魚、ベジタリアンの中から選べるほか、サラダ、スープ、温前菜、チーズそして果物などをビュッフェテーブルから自由に取れるようになっています。読売旅行で行う南・北極クルーズ船はいずれもレストランは自由席、操舵室も出入り自由です。例年はムルマンスク出港後一路極点へ向かうのですが、今シーズンはたまたまロシア潜水艦が極点付近で調査活動中のため、フランツ・ヨーゼフ・ランドに一日寄ってから極点を目指す事となりました。

7月12日(日)

テガトフ岬(フランツ・ヨーゼフ・ランド)

午前中北極講座で北極の海鳥やフランツ・ヨーゼフ・ランド発見歴史の予習をした後、小グループ毎のエンジンルームツアー、そして午後にはヘリコプターによるテガトフ岬上陸と忙しい日程でした。私達は20人毎のヘリコプターグループで上陸しました。玄武岩の奇岩がそびえるテガトフ岬は1873年にオーストリア・ハンガリー帝国北極探検隊がフランツ・ヨーゼフ・ランドを発見した地点です。19世紀末の探検小屋がまだ残るツンドラには紫ユキノシタなどの花々が咲き、シロカモメのにぎやかな子育て風景も見られました。夕刻にはさらに、小グループ毎に船長室でのカクテルに招待され、船長とツーショットの写真も後から部屋に届きました。その上、広い海峡ではなく、海氷の多く残っているオーストリア海峡を選んだエクスペディションリーダーの予想通り、今日1日で16頭と言う記録的な数の北極クマと遭遇できたのです。小熊二頭と母親の親子ずれ、仕留めたアザラシの血に顔を染めながら食べている若い兄弟とそのおこぼれをもらおうと後ろで待っている北極キツネ、そしてアザラシが氷の穴から顔を出すのをじっと待っている雄クマなど様々な場面でした。本船では食事中でも夜中でも北極クマが見えると船内放送されるので、食事中のダイニングルームがしばし空になってしまう事もありました。今日は23時過ぎまでお客様はもちろんの事、北極点7回目の私も大変興奮してしまいました!

7月13日(月)

フリグリー岬(フランツ・ヨーゼフ・ランド)

フランツ・ヨーゼフ・ランド北端にあるルドルフ島の最北端は北極点に最も近い陸地です。それでも北極点までまだ450海里(830km)ほどあります。その最北端の陸地フリグリー岬にやはりヘリコプターで上陸しました。大きなロシア正教式十字架があるフリグリー岬からはるか北極点を望んで歴代の探険家達はなにを思ったのでしょうか。背後に広がる氷帽は観測用飛行機の滑走路として使われた事があります。午後の北極講座では昨日見たばかりの北極クマと海氷についての詳しい解説を聞きました。いよいよこのあたりから北極点までは世界最強の砕氷船が本領を発揮します。海の神ネプチューンから北極点への大きな鍵をもらう儀式のあとは温かいワインと楽しい北極バーベキュー大会です。周りは見渡す限り氷、氷、氷。その中を50イヤーズ・オブ・ヴィクトリー号は11~13ノットを維持しながらぐいぐいと進みます。

7月14日(火)

北極点北上中

北極点まであと350海里(648km)位です。北極点到達日時予想当てクイズの応募締め切りは本日正午です。毎年最後の1度(60海里)に難儀するのですが今年はどうでしょうか。本船は気温0.6℃の中、厚さ2~3mの多年氷を割りながら13.8ノットで進んでいます。厚さ10mにもなる氷丘脈に遭遇すると200mくらい後ずさりしてから全速で体当たりする事もあります。割れた氷の断面は砂糖菓子の「豆板」のように美しい色をしています。時々、割った氷が船底に当たって物凄い音とショックを感じる事もあります。この様な時に船内を歩くには、スニーカーなどの滑りにくく安定のよい靴を履いて、突然の揺れに備えて片手を必ず空けておく事が肝要です。霧氷や雪が凍り付いて滑りやすくなっている外甲板は特に気をつける必要があります。各船室のテレビとラウンジの大画面にはGPSの数字と海図上に本船の位置が示されていて、それを見ながら徐々に皆の緊張が高まってきました。

7月15日(水)

北極点到達

今日は霧の合間を見ながら10人ずつでヘリコプター遊覧を楽しみました。ヘリコプターの窓一つに乗客1人という贅沢な環境で、本船が氷を蹴散らして進む様子を上空からゆっくり観察できました。午後にはいよいよ間近になった北極点到達時の行事についてのオリエンテーションがあり、北極講座では北極点初到達競争の探険歴史を聞きました。夕食後から皆そわそわしながらテレビ画面のGPSの数字を見ています。ところが22時55分に一旦北緯89度59分まで行きながら、簡単にカウントダウンとはいきませんでした。GPS画面の数字が89°59’589Nから90°00’000Nになるのに10回も行ったり来たりして1時間もかかってしまったのです。それと言うのも、GPSのデジタル画面上ぴったり90°00’000Nになるようにするのには2万トン級の船に付いている小さなGPSアンテナが直径2mくらいの小さな円の中に入るよう船を操縦しなければならなかったからです。それで地球と言う丸いボールの頂上にある小さな針の一点にたどり着くのに23時57分までかかってしまったのです。その瞬間、船長が汽笛を鳴らし、前甲板に集まった私達はシャンペンで乾杯しあいました。ついに多くの探検家達が挑戦し、命をささげた北極点の上に立ったのです!GPS上の90°00’000Nという数字も、船が海流とその上の海氷と共に常に動いているため、ほんの一瞬で変わってしまいます。南極点への探検家とは異なる難しさを克服しなければならなかった初期の探検家は、自分の居場所を知るにもさぞかし大変な苦労をした事でしょう。

7月16日(木)

北極点祭り

昨晩シャンペンで乾杯後、私たちがしばし寝ている間に、船長は歩き回っても大丈夫そうな大氷板に船のへさきを乗り上げて駐船(?) してくれていました。気温0℃。氷上にタラップが降ろされ、24カ国の国旗が飾られて、私たちも北極点印の周りで地球一周ダンス、船長の挨拶、そして1分間の黙祷をささげました。昔の探険家の気持ちを想った人、今日までの自分の人生を振り返った方、一緒に来られなかった家族を思った方などいろいろな意味を持った1分でした。その後は思い思いに写真を撮り合ったり、命綱を付けて極点水泳クラブの会員になったり、ゾーディアック(エンジンつきゴムボート)で極点ミニクルーズを楽しんだりしました。昼食は極点バーベキューです。皆パルカを着こんで完全装備で肉をほおばりました。周囲360度海氷とそれに閉じ込められた氷山に囲まれた北極点は夏の太陽でところどころ水溜りが出来ています。この辺りの海氷は多年氷で塩分は殆ど抜けてしまっているので、水溜りの水は飲んでも安全でとても美味しいです。その後低い雲が垂れ込めてきたので早めに南下することにしました。皆さん昨晩からの興奮と達成感をかみしめているのか、夕方の船内はとても静かでした。

7月17日(金)

フランツ・ヨーゼフランドへ南下中

今回の旅行中最大の目的を達成したためか、皆様大分リラックスされているようです。早速日記帳や絵葉書に北極点達成のゴム印を押す方や売店で白熊印のお土産を変われる方などがみられました。この辺りの海氷は一日5km前後のスピードで西に流れているので、北上した時より少し東にコースを変えてフランツ・ヨーゼフ・ランドのノルウェー岬を目指します。北極講座では夏の北極で見られる鳥が冬はどこに行くのかといった、渡り鳥の話やアザラシについてのスライドショーを楽しみました。午後にしばし氷上散歩を楽しんだ後、夕食は北極点到達記念特別ガラディナーです。メインのロブスターはもちろんの事、貝柱の冷たいクリームスープから口直しのシャンペン・シャーベット、そしてかわいらしいデザートなど、豪華客船に乗り慣れている方さえうならせた素晴らしいメニューでした。今日がお誕生日の方はさらに忘れられない思い出になった事でしょう。ディナーの後はラウンジで踊りあかした方、船尾で氷の芸術写真を狙う方などが見られました。

7月18日(土)

フランツ・ヨーゼフ・ランド接近

昨晩遅くまで活動したので、今日はモーニングコールなし、朝昼兼用ブランチです。図書室のコンピューターにダウンロードして自慢の写真を見せ合う方々、もう次の旅行の計画を話し合う方などが見られました。北極講座ではまだ見ていないセイウチやBBC特別番組北極クマスペシャルを楽しみました。

7月19日(日)

ノルウェー岬~ルビニ・ロック~フッカー島~ノースブルック島

夏季の早い日の出と好天を利用して、早朝4時から10人づつゾーディアックでノルウェー岬に上陸しました。北極探険の父と言われるナンセンとヨハンセンがフラム号からの北極点挑戦の帰途ここで2m×3mの半地下石小屋を作り越冬(1895-96)したのです。いまでも越冬小屋の梁に使った大きな流木と石囲いが残っています。ツンドラのお花畑は2~3日前からの雪が白く覆ってしまっていましたが、背後の崖で子育てをしているハシブトウミガラスはとてもにぎやかでした。朝食中に船が移動して、フッカー島のティカヤ・ブクタ(静かな湾)にそびえる玄武岩の断崖絶壁、ルビニ・ロックの何万羽と言う海鳥の子育て風景を本船の前甲板から間近に観察しました。小さな岩のくぼみに産むハシブトウミガラスの卵は岩に似た保護色で、形も転げ落ちないよう一方が細くなっています。他にもミツユビカモメ、シロカモメ、ゾウゲカモメ、ハジロウミバトなども周辺に営巣していました。昼食中に船が再び移動し、今度は同じ湾の向かい側にある旧ソ連時代の北極観測基地跡にヘリコプターで上陸です。ここはフランツ・ヨーゼフ・ランド随一の美景といわれていて、大きなセドフ氷河を左手に、ルビニロックが遠望できる湾内には形のよい氷山が浮かんでいます。背後の斜面にはヒメウミスズメが営巣しており、時々空に黒ゴマを撒いたように飛び立つ様が見えます。1960年代初めまで使われた基地跡の廃屋ではユキホオジロが巣を作り、紫シギが雪解け水の池周辺で見られました。雪で覆われていた地面の所々にけなげに生きている北極ケシやキンポウゲの黄色も見られました。それから氷海の中を行くうちに待望のセイウチと出会えたのです!北極にしかいない海生哺乳類のセイウチは雌雄両方とも牙を持ち、海氷の上に何十頭といった群で見られることが多いのです。今回も20頭くらいの群が3つほど続けて見えました。セイウチはとても音に敏感な動物で、大きな音に直ぐ海に潜ってしまいます。船長が超微速前進に切り替えて、そおっと脇を通り過ぎるようにしたので最後の群までしっかり見られました。中には好奇心に駆られて船の極近くまで出かけてくる若いセイウチもいたほどです。最後に予定していたノースブルック島のフローラ岬周辺は低い霧が立ち込めているために、代替としてまだ霧の届いていない同じ島にある大きなノースブルック氷河先端部分を低空で遊覧飛行しました。青く神秘的なクレバスを直ぐ上からのぞいたり、大きな崩落が2度ほど見られたりして、フランツ・ヨーゼフ・ランドの最後を締めくくるにふさわしいエキサイティングな一日でした。

7月20日(月)

バレンツ海南下中

盛りだくさんだった北極点クルーズの思い出を整理しながら北極クジラ、砕氷船の秘密について、そして地球の温暖化についての北極講座を聞きました。
船内サービスの伝票付け今日までです。さよならカクテルでは皆さん大満足の北極クルーズに船長やエクスペディション・リーダーを始め、係員一同に思わず拍手が沸きました。乗客皆様の行いが良かったからでしょう。お天気も上々、静かな海に船も殆ど揺れませんでした。

7月21日(火)

ムルマンスクへ向けて航海

午前8時の早い下船案内説明会で私達が今まで使っていた時間を2時間進めてムルマンスク時間に合わせました。個人支払いを済ませ、返してもらったパスポートに早速待望の北緯90度のスタンプを押しました。午後の最後の北極講座では今までのクルーズを楽しんでいる私たちを写してくれたウラジミールがその作品をスライドショーにして見せてくれました。これは後ほどクウォーク社で編集し、航海記録、日程表コピーなどをいれたDVDとして2ヵ月後位に読売旅行経由で皆様にお送りするものの元となる生写真です。今まで上陸に使った黄色のパルカは小さくたたんで手ごろな袋に入れて持ち帰ることが出来ます。就寝前に託送荷物を部屋の外に出すのをお忘れなく。

7月22日(水)

ムルマンスク⇒ヘルシンキ

朝食後、楽しかった12日間のクルーズを終えて名残惜しい50イヤーズ・オブ・ヴィクトリー号を後にして9時35分発チャーター便は約1時間半でヘルシンキに戻りました。昼食後は皆様思い思いに買い物をされる方、海辺のマーケットへ出かける方など自由に過ごしました。夕食は近くの日本レストランで久しぶりの和食コースを美味しくいただきました。

7月23日(木)

ヘルシンキ

今日も午後の出発まで自由行動です。宿泊ホテル直ぐ前から路面電車(トラム)の3T線でぐるっと約1時間のヘルシンキめぐりは僅か2ユーロのお勧めコースです。昼食後ヘルシンキ空港発、フィン・エアーで空路成田へ。

7月24日(金)

成田

予定通り成田空港着。大変お疲れ様でした。宅配便ご利用をお忘れなく。

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